カテゴリ
以前の記事
2013年 05月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
タグ
その他のジャンル
最新の記事
LINK
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2010年7月16日・・・ この日は僕が会社を退職した日。 あれから、一年が経った・・・ 一年間振り返ると、とても長かったように感じる。 もっと、もっと前に退職したかのように感じる。 ルワンダに来て半年が過ぎた。この半年はとても早く感じるのに、なぜだろう・・・ 会社を辞めて、ルワンダに来るまでの半年が長かったのかな?? うん、そう思う! 会社を辞めて、ルワンダに来るまでの間、もろもろの研修が計3か月近くあった。 ということは、残りの3か月間はプータローをしていたということになる。 それは、完全に間違っていない。 ほぼ毎日、図書館と家の往復。 少しでも日本を知ろうと、日本各地を訪問したこともある。 結局その間って、「人のため」に何かをしているわけではなく、「自分の知識、見聞を広げるため」にシゴトをしている気でいた。 それは、大切なことだけど、自分のしていることに、確証がなく、なんとなく物足りない毎日だった。 だから、その3か月間が、底知れずとなく長く感じ、今振り返ると、退職した日が、遠く昔のことのように感じる気がする。 僕は、4年3か月勤めた会社を辞めて、協力隊に参加している。 果たして、会社を辞めてまで、協力隊に参加した価値があるのかどうか、退職してから1年経った今、すこし考えてみる。 僕はこの一年間で、前の会社に勤めていたのでは、得られないものをたくさん得た。 それと同時に、会社勤めをしていれば、得られたであろうたくさんのものを得る機会を逃した。 そんなこと、協力隊に参加する前からわかっていたことで、どちらが正しいとかないと思う。 ただ僕は、ずっとひとつの会社にいて、年功序列で出世していくよりは、会社に頼らず、生きる力をつけ、自分の力で社会を生きたいと思い、退職を決意した。 そういう意味で、今はどうかというと、理想の自分からはほど遠い。。。(残念) 今日本に帰っても、自分の力どころか、誰も僕を雇ってくれないことは知っている。 自分一人が食っていけるだけのお金も稼げないなら、援助もヘチマもないことも知っている。 そういうわけで、今時点では、「協力隊<会社」となってしまっている。 ありきたりだけど、ルワンダに来て視野が広くなったことは確か。 南極大陸を除く、すべての大陸に友達がいる。 南米で事件があれば、A君のことが頭に浮かぶし、中東で紛争があれば、Bさんのことを心配する。 世界が狭く感じるようになった分、それに反比例して、自分の視野が広くなったように思う。 そこから、物事の考え方が、柔軟になったり、心が寛容になったりもする。 ただ、会社を辞めてから、ビジネス感覚がなくなったようにも思う。(無論、もともとビジネス感覚は乏しいですが) 協力隊の活動というのは、無償援助というのが前提にある。 少しでも、お金が使えるのなら、また発想が違ってくるのだろうが、なんせ前提としてお金が使えない。 (申請すれば、使えるが、前提としてはお金は使えない) すると、ビジネスというよりかは、クラブ活動の方が近いかもしれない。 厳しい資本主義の競争社会を生き抜くためには、ビジネス感覚は必要。 協力隊に来て、 「語学ができます」 「視野が広がりました」 「思考が柔軟になりました」 こんなこと、2年間途上国で生活していれば、日本人と極端につるんだり、引きこもってもいない限り、自然と身に着く。 僕は、 「途上国における、商売の仕組みを学びました」 と言いたい。 日本のみなさまへ The Rwanda pray for Japan
by rwandaful
| 2011-07-18 14:27
| ルワンダ
|
ファン申請 |
||